豊後名物【姫だるま】のモデルは豊後岡藩・雑賀勘左衛門の妻

2011-01-20

今から約三百六十年前、一六四九年に作られはじめたという「姫だるま」は、以前は「福女」や「おきあがり」などと呼ばれていたようである。正月二日の未明になると、ホギトといわれる祝人が「やあ、おきあがり、おきあがり」と、各家庭を回って玄関や戸口にだるまを置いていく。住人はお礼にホギトにご祝儀を渡し、家庭ではこの縁起物のだるまを神棚などに飾るという慣例が大正末期まで残っていた。現在は、この姫だるまが作られている大分県竹田市の特産民芸品として、家庭円満や厄除けにご利益があるとして、観光客や地元の人々に愛されている。愛媛にも姫だるまと呼ばれる特産品があるが、それとは姿もいわれも違う別のものである。この竹田の姫だるまは普通のだるまとは一味違う。宣ハつ白い顔に切れ長の目とおちょぼ口という愛らしい表情に、松、竹、梅が描かれている鮮やかな色合いの着物を着ている。じつは、このだるまはある女性がモチーフになっている。いったい誰をモデルにしているのかというと、かつて豊後岡藩の下級武士であった雑賀勘左衛門なる人物の妻なのだという。後藤姫だるま工房の後藤明子氏によると、その女性は綾女という名前だという。綾女は嫁いだ先の姑に毎日苦しめられ、ついには家を追いだされ人生の希望を失って生死の境を彷徨っているところを、夫に助けられ、その後改心した姑と夫とともに温かみのある第二の人生を歩んだ女性である。更生後は夫の愛情も深くなり士分も昇進して生活も豊かになったという逸話も残る。姫だるまが起き上がりこぼしになっているのも、その綾女の人生にあやかろうとしたためと想像できる。そうした由来のある姫だるまを明子氏のご主人であった恒人氏が、旧家に残っていた古いだるまから原型をとって復活させたそうだ。おきあがりなどと呼ばれていた名前も、昭和三十一年に「姫だるま」と命名し、現在にいたるのである。姫だるまの大きさは八センチの小さいものから、二〇センチの大きいものまでがあり、ひとつ作り上げるのには一週間かかるという。

(参考)
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